何か でないことは、とても不安だ。
これは○○だ。そう言って答えを用意するとそれは完結し、考えることの基準になり道しるべになる。
だけど、これは○○だ、と言ったのは誰だろう。
自分か、それとも他者か、
他者であった場合、答を委ねすぎてはいないか。
これはこう使うのだよ。
ではなく
これをあなたならどう使う。
そう言える物を作りたい。
これは○○だ、と言われている物にも○○以外の可能性を秘めているが、誰も求めてはいないだろう。
なにものでもないもの は
求められてはいないのだ。
だけど
○○という答えのギリギリで
手を止めたい。
そこでその物を放って
物にもさまざまな一生を終えて欲しい。
わたしは
なにものでもないもの に憧れている。
答えのないことに不安を憶えない日はない。でもそれは、考えることに力を与えている。
反逆のように思えるけど、
物の価値の在り方なんて、もっと多種多様でいいんだなと
あくまで作る物の可能性の広さを
再確認しているだけなのだけど。