2013年5月28日火曜日

梔子

嬉しくも変わること

悲しくも変わること

だんだんとそれは表裏一体なのだと気づく。

得ると失うとも似ている。


初心を忘れないように

自分にかける言葉がある



「わたしは山のどこにいる?」





2013年5月27日月曜日

天国へ行って、

おばあちゃんに聞きたいことがたくさんある。

行って、戻ってこれたら良いのに。

人が亡くなるって

こういうことか

もう二度と話せないってことか

もうおばあちゃんが亡くなって

5年は経つというのに。

手紙くらい

出せたら良いのに

最後に添えた手紙は

読んでくれたかな


2013年5月20日月曜日

潤色

傘が踊る横断歩道で

「コーヒー」を想う

灰色の空とコンクリートの壁に

「透明」を想う




2013年5月16日木曜日

砂色



音楽につられ

この夜観た映画につられ

本につられ

小さな蜘蛛につられ

いつもここへやってくる。

誘うことものは周囲に溢れ

言葉で河をつくる

短くも尊い時間をくれる。

いつも同じ方向へ回る時計の針が

文字盤よりも長くながく延びて行くような


ここを離れれば、針は延びることなく

カチコチ   まわる

それでよくて

たまに違う姿をみせてくれれば

安心するのだ心から。



明日の朝は

期限を切らしたお肉と卵に土下座する。




つられに つられ  毎日を。

2013年5月8日水曜日

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なにものでもないもの


何か  でないことは、とても不安だ。

これは○○だ。そう言って答えを用意するとそれは完結し、考えることの基準になり道しるべになる。

だけど、これは○○だ、と言ったのは誰だろう。
自分か、それとも他者か、
他者であった場合、答を委ねすぎてはいないか。

これはこう使うのだよ。
ではなく
これをあなたならどう使う。
そう言える物を作りたい。

これは○○だ、と言われている物にも○○以外の可能性を秘めているが、誰も求めてはいないだろう。

なにものでもないもの は
求められてはいないのだ。

だけど
○○という答えのギリギリで
手を止めたい。

そこでその物を放って
物にもさまざまな一生を終えて欲しい。

わたしは
なにものでもないもの に憧れている。

答えのないことに不安を憶えない日はない。でもそれは、考えることに力を与えている。

反逆のように思えるけど、
物の価値の在り方なんて、もっと多種多様でいいんだなと

あくまで作る物の可能性の広さを
再確認しているだけなのだけど。

2013年5月4日土曜日

海松

いまあるのは

辛いことばかりかもしれない

だけどその分

束の間の優しい時間が、元気にしてくれる。

そしてとても沁み入る。

体力がなくてこの生活にはふらふらだけど、

とても とても 大事なことや 大事な人に

出会わせてくれる。

このながいながい道のりをわたしは

長生きしないと全うできない

のろいカメです。