社会人になります。
2009年3月28日土曜日
2008年12月18日木曜日
おいろ
卒業制作を始め、1ヶ月ほど。
イロイロ色々スケールイロを見たり作ったり
ぬんぬんしていたのです。最近。
写真はね、友達の家でもくもくタバコの煙のなかのテレビ。
カフェオレが似合う女になりたいすね。
今日で後期の授業が終わり。
という事は学校の授業は最後でした。
あとは卒制のみかー あ、試験があるな。
とりあえず冬休み。
でも日常はなんら変わらず、アトリエで制作の毎日となるでしょう
ぼ う ねんかい しちゃお。年忘れしちゃお。
今行きたい展覧会があります。
「ひびのこづえ展 2LDK星」
コスチュームデザイナーで、CMやらNHKの番組の衣装を作っている人です。
服飾への興味ではないけれど、世界観が好きなので観たいです。
先日友達ともの作りをする時の脳内の話をしまして、ちょうど作品が迷宮入りしていたところだったので、
とてもよろしくない脳内をしていました。
そんな時は、考えてもいいものが出てこないので、機械的な作業に徹するのです。
とりあえず手を動かす。て時間は必要だからね。
といいつつ、朝5時には寝ていました。
人間だね自分も。
2008年12月14日日曜日
ここからここから
ブログ3ヶ月放置しました。何のためにやってるんだか。
ちゃんと、書こうと思います。せっかくあるんだし。
何を書いていくか、決めようかな。何がいいかな っても日常しかないや。
一応美の術に首つっこんでるんだ、そこらへんを濃く 書いていきます。
3ヶ月間、何やってたかと言いますと、
10月、rambling home前の日記にあります課題です。
私は中原中也の詩を元に、鼻歌うたって空に絵を描く家(屋根)を作りました。
タイトルはKITE SONG。凧みたいなね、そんなのを作った。
気持ちの開放、したかったんだ。
すみません写真はまた載せます。
上のポスターはゼミ展のもの。ここで霧ヶ峰高原に建てたみんなのrambling homeを映像で発表しました。
2008年9月30日火曜日
rambling home
広く ひろく とても開放感のある場所でした。
距離感が掴めなくなるくらい
最近いろいろなことが起こりすぎて、 手がしわしわです。
たくさんのさようなら
大切な人との出会い
さよならは悲しいです。
だけど、そばにいてくれるような気がします。
見守ってくれてると、思うのです。
私はあなたのようになりたい。
生きたい。死ぬときも、あなたのように。
ね、おばあちゃん
2008年9月11日木曜日
韓国/日本/デザイン




ソウル芸大の学生と交流展を開くためです。
バカなので、デジカメを忘れて行きました。
写真はすべて貰い物。
ソウルはとても活気のある所でした。
そして韓国のみなさんは人情味溢れる、人間関係を重んじる人ばかりでした。
食事にもお酒にも人にも街にも元気をもらって帰ってきました。
作品について思うことはたくさんあります。
もっと、いい物にできたと思います、不完全だと思います。
そして私はデザインとはなんぞやがわからないままここまで来ました.
あーそうか
と安心のような反省のような
あーそうか
が最近よく頭を走ります。
すんげー理想
馬鹿げたこと
批判されること
それでも私の意思はそこにあって、
人並みはずれないつまらない頭を持ちつつも、
こうあるべきだと思う私のビジョンを
アウトプットできたら。幸せだし
生きてて良かったと思うし
それで何か人の生活における意識の片隅に影響を与えられたら、
素敵だし
けどまだミジンコです
やることいっぱい
これから 本当の本当の本当を
貫きたい
と
思うのです。
とにかく
今はある物は創らない
今あるものを追っても、追いつけないんだ
これが あーそうか に
含まれる私の考え
自分が幸せであること
これも 大事な要素な のです
押し付けがましく自分の幸せ捨ててきたんだよ なんて
できないよ
できる人もいるかもしれないけど、見返りを求めたらその時点で アウトー
だと思うから
大人の子ども 私それが欲しい
支離滅裂 ですみませんが 頭の中、いつもこんなですから
と
いうわけで
卒制のテーマが決まりそうなわけです。
でも卒制の前に、
rambling home やります
ぶらぶら歩く 家
とある高原で ゲリラ的に
楽しみでならないよ
がーー
と
解放してきまふ
2008年8月11日月曜日
始動。
なにかとマイペースなので、あまりに更新されないブログは忘れ去られてしまうでしょう。
始動。
この半月、私はバイトという生活のみをしてきました。
旅費を稼ぐためではあったけど、割り切りすぎて本当にただ、バイトをしていました。
バイト三昧も少し落ち着いて、4日間のお休みに入りました。
ここでやっと、半月の間の自分をぶん殴りたい気持ちになれました。
バイトも、楽しいし、やりがいがあるし、将来に繋がることも発見しました。
けど、違う。これだけで生活しているのは私が望んだことじゃない。
それに昨日友達に言ったこと、まるでつまらないことを言っていた。
「私はこれでいいの」って言ってるみたいに。
なぜ今日になってこんな風に思ったか。それはとても単純で、ある一冊の本に出会ったから。
流されやすい性格、と卑下していたら切りがないので、言わないでおくけど。
この半月、とてもきれいな生活をしていました。家もきれいで、洗濯もまめで、ある程度の生活パターンを維持しています。
気持ちは落ち着くし、この部分はこのまま継続していきたいと思う。
しかし、何故今になって、今なら、それができるのか。
それを考えたら、単に余裕の問題でした。ここまでならきっと誰もが思うことでしょう。
余裕は、言い換えれば、「それしかない」でした。
私にとっては。
もっと、無茶をしなくちゃ。
「げ、洗濯物が溜まってる。。うわあゴミを出してない。。」など
すべてを完璧にこなすのは難しいだろうけど、この半月で得たきちんとした私を維持しつつ、ぶん殴りたいと思った私が共存すれば、きっと今までとは違う、生活ができるんじゃないかな。
無茶をしなくちゃっていうのは、まるまるなって自分に言いたくて。
やってもいない、擦ってもいない「やりたい」を、捨てるか、勘違いするところだったよ。
とーーーまわりしてるけど、これからが重要です。
ぶん殴りたくなった今日からが重要です。
なんでmixiじゃなくてブログに書くか、これもまた昨日と今日の違い。
明日はどんなことを新しく思うんだろう。
先を見据えるんじゃなくて、先を焦がれるほうがいいな。
2008年4月30日水曜日
フリークフレークフリークス

たまにね、
みんな、自分から離れていってしまうんじゃないかって思う。
永遠なんて無いのにね。
とか少女漫画みたいなこと言って
センチメンタルフリーーーーク
ほんと、自分はふわふわして生きていると思う。
あくせくやることはやっているけど、
自分から吐き出されるものは詩的でありたい。
現実でありながら 妄想のような世界を創り出したい。
ソットサスのように、生涯芸術に自分を生かされるほど
世界に酔っていたいんだ
倉俣四郎のように、夢に出てきた物を現実に起こしてしまうような
子供のような賢さに
モホリのような、探究心に
ああ。
なれないだろうな。
それは自分が、彼たちではないから 彼たちの世界には生きていないから
だから 綿毛みたいに あっちこっちに吹かれて
なかなか地面にたどり着けない
ふわふわ漂って、旅をするんだ 気持ちの旅を
真似しようとも、真似できない自分の良さがあると信じよう。
こんな私の周りにいてくれる人が 大好きだ。
でもいつまでも私はふわふわしているからね
誰かの人生を掠って、その人生の重要なシーンになれたら幸せ。
今、自分の価値を知りたい。
生きる意味を知りたい。
誰か1人の中での価値でもいい、死なない意味が知りたい。
もの凄く暗いように感じるだろうけど、
私はいたって普通。むしろ元気。
知りたいだけ。探すのも楽しい。
ただ本当に、私に何ができるのか、してきたのか
知りたいだけ。
ながいながいセンチメンタルフリークーーーー
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